2018 ミス日本酒 茨城代表 宮内 菜奈子 OFFICIAL BLOG

東京大学大学院 農学生命科学研究科 修士2年 25歳|厳しい環境に耐性をもつ稲の創出に関する研究中

2018 ミス日本酒 茨城代表 宮内 菜奈子
2018 Miss SAKE Ibaraki Representative Nanako Miyauchi

【2018 ミス日本酒への想い】
私は現在、東京大学大学院で厳しい環境に耐性をもつ稲の創出に関する研究をしています。その中で得たのは、食糧問題や食材、お酒への無関心は生産者と消費者間の隔たりから生まれるという気づきです。 稲は世界中で愛される作物。日本に古くから根付くソウルフード。農業事情を知るため訪れた東南アジア(タイ・ミャンマー・べトナム)では米から作る蒸留酒、食文化に触れました。そして日本の稲作環境の美しさと技術・高品質の米・綺麗な水・人の思いが調和してつくりだされる芸術品である日本酒の素晴らしさを再認識しました。この世界に誇れる日本の知恵、日本文化を発信し、生産と消費、日本と世界の架け橋になりたいです。 20年間の競泳経験(ジュニアオリンピック出場)で身につけた体力・精神力。4歳から学んでいる日本舞踊と書道で培った伝統美を尊ぶ心・謙虚さ。澄んだ心と澄んだ瞳で、誰もが日本酒を楽しめる飢餓のない世界をつくりたいです。どうぞよろしくお願いたします。
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【2018 ミス日本酒 第11回 ナデシコプログラム】

【2018 ミス日本酒 第11回 ナデシコプログラム】
皆様、こんばんは。2018 ミス日本酒 茨城代表 宮内 菜奈子です。梅の花薫る季節になりましたね。いかがお過ごしでしょうか。さて、第11回のナデシコプログラムのご報告をさせていただきます。

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【2018 ミス日本酒 第11回 ナデシコプログラム】
2018年2月24日(土)
11:00〜11:30 小津和紙様で和紙の講義受講
11:30〜12:30 和紙体験
13:30〜14:30 江戸切子体験
15:00〜16:00日本橋伝統工芸品街歩き

第11回のナデシコプログラムでは、日本橋小津和紙様で和紙漉き体験を、そして江戸切子の店 花硝 日本橋店様にて、江戸切子の体験をさせていただきました。日本の美しく緻密な伝統文化に触れる濃密な1日となりました。

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小津和紙様】
小津和紙様では、まず富山県伝統の越中和紙悠久紙が作られる過程を説明していただきました。私は幼い頃、紙漉き体験で絵葉書を作ったことがありましたが、この「紙漉き」の工程は、入念な下準備、さまざまな工程を経た後の最後の工程に過ぎないと知りました。

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そもそも紙漉きは、古くは中国から伝えられた技術であり、水が豊富できれいな日本で和紙漉き文化が醸成され、平安時代には日本独自の、「流し漉き」の手法が確立されたそうです。流し漉きは「ねり」と呼ばれる粘液を原料と混ぜ、その紙料液を揺り動かして繊維同士を絡みやすくする方法です。現在は、トロロアオイが「ねり」として使用されています。原料として、楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)、麻などを用います。稲作が中心であった日本において、紙漉きは主に冬の仕事でした。

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越中和紙悠久紙は、以下の流れでつくられるそうです。
①楮を収穫する。
②楮を蒸し、皮を縮める。
③水で楮の端を冷やし、皮を剥ぎやすくさせた上で皮を剥ぐ。この時点で、皮は黒皮。
④腐敗を防ぐために皮を天日干しする。
⑤水にさらして皮を柔らかくし、黒皮を削って除去する。この工程を「楮たくり」という。

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画像はHPより


⑥ここで、皮を雪にさらす「雪さらし」をする。雪さらしによって、太陽光(紫外線)と雪の水分の作用で発生したオゾンにより楮を漂白させる。漂白剤を使わない、雪国ならではの知恵。
⑦皮の繊維を柔らかくし、繊維以外の物質を溶かすために、ソーダ灰を加えた釜で皮を煮る「煮熟」をする。
⑧水にさらしてアク抜きをする。
⑨皮に残ったごみや汚れなどを取り除く「ちりとり」をする。
⑩皮を叩いて繊維をほぐし粘りを出す「打解」を行う。


⑪良く叩いた原料を、なぎなたビーターという機械で水と攪拌し、繊維をばらばらにほぐす。
⑫粘性の高いトロロアオイを「ねり」として原料に混ぜ、繊維を分散・均一にする。これにより、繊維同士が絡みやすくなり、しっかりとした紙ができるようになる。
⑬紙を漉く。
⑭漉きあがった紙を重ね、圧搾する。
⑮蒸気乾燥、もしくは天日干しを行って完成。

 

以上のように、和紙は多くの工程を手仕事により行うことで出来上がります。今回私たちは⑬~⑮の工程を、A4サイズで体験させていただきましたが、簀桁を前後左右にリズムよく揺らすだけでもリズムがつかめず大変でした。濡れた状態の和紙は繊細で、それを乾燥させたりするために移動させるのも大変神経を使いました。

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画像はHPより

 

和紙づくりに携わる職人の数は、高齢化や後継者不足を受けてこの10年間におよそ40%減少し、現在、全国でわずか600人ほどと言われています。和紙の魅力は、何と言っても手作業が生むあたたかみ、水への強さ、破れにくさ、軽さ、1000年を超える耐久性。この耐久性は、原料の楮や三椏などの繊維が、洋紙の原料パルプに比べて格段に長いこと、手作業や簡単な機械により打解されるので、繊維の損傷が低く抑えられること、インク滲みを止めるために洋紙には加えられる化学物質が加えられないことなどによって得られます。これらの特徴を生かしてつくられた、和紙製の「紙衣」という上着を、昔の旅人は重宝していました。

 

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機械漉き友禅紙 赤地にススキ・かかし(HPより)

 

現代では、和紙を撚った糸から布を織り、服飾品がつくられたりしており、2014年には、細川紙、美濃紙、石州半紙の3つの和紙が無形文化遺産に登録されました。和紙漉きには、日本酒と同様に、ちり1つ含まない美しい水が必要であり、山がちな日本はこの要件を満たします。実用的で美しい和紙の魅力、和紙漉きの技術、そして和紙と、日本酒も生んだこの美しい日本の環境・文化を、日本人としてきちんと理解し、若い世代、海外の方へ伝えていきたいです。

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江戸切子の店 華硝 日本橋店様】
華硝様では、江戸切子の体験をさせていただきました。赤色のぐい飲みを選んで挑戦しました。ぐい飲みを手に取ってみると、意外に厚みがありました。これは、江戸切り子用の硝子は、内側の透明な硝子と、外側の色つき硝子の二重構造になっているからだそうです。表面の色つき硝子を削ることで、内側の透明な部分を露出させ、美しい模様を出すというからくりになっています。

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実際に研磨してみたところ、かなり押し付ける力と、ためらいの無さが必要になるとわかりました。下書きをしても、下書き通りに削れないもどかしさを感じました。私は線を3本組み合わせた花模様を削り出したのですが、この簡単な模様を削り出すのも難しく、職人さんには、並々ならぬ集中力と、熟練の技が備わっていると、改めて学びました。

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華硝様の店内には、緻密で凝ったデザインの江戸切子が所狭しと並んでいました。ただ、最も難しいデザインは、緻密な模様ではなく、米つなぎや円など、一見単純で簡単そうに見える模様だそうです。どの模様も、太さ等は変えますが、基本的に同じ回転円盤で削ります。特に、米つなぎは、世界で一人しか削ることのできない模様で、削り調子を一定に保つため、一度削り始めたら、お手洗いにも立てないのだそうです。

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江戸切子はそもそも1834年日本橋にて、ビードロ屋の加賀屋久兵衛が金剛砂を用いてガラスの表面に彫刻したのが初めてと言われています。その後、1873年に、明治の殖産興業政策の一環として、国産硝子細工に力が入れられ、明治時代に英国人指導者を迎えることとなりました。大正時代にはガラス素材の研究、研磨の技術改良が重ねられ、江戸切子の技術が確立しました。
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現在、江戸切子の職人さんは約100名。薩摩藩が幕末から生産を始めた薩摩切子は、残念ながら明治初頭に廃れ、現在は復刻生産されています。江戸切子については、地域ブランド商標制度での「江戸切子」取得や、伝統の魚子(ななこ)模様にちなんで7月5日を江戸切子の日とするなど、存続をかけて様々な試みがなされています。私たちには、この美しい日本文化が生んだ芸術作品を国内・海外へ知らしめる義務があると感じました。

 

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五街道の起点、日本橋では、ほかにも歌舞伎や印刷など、さまざまな文化が花開きました。それらが、今もこうして私たち日本人の中に根付く大切な文化となっています。江戸から流れる歴史を濃厚に感じられる場所。日々に疲れたとき、アイデンティティがわからなくなったとき、新しい一歩を踏み出したいとき。折に触れて、ここを訪れ、深呼吸したいと、お昼に江戸前そばをすすりながらしみじみと感じました。

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小津和紙様、江戸切子の店 華硝 日本橋店様、本当にありがとうございました。

 

2018 ミス日本酒 茨城代表 
宮内菜奈子

 

[English abstract for the 11th Nadeshiko program]

On February 24th, I attended the eleventh Nadeshiko program. Here is the summary of what I learned in this program.

[How to make Japanese paper, Washi : by OZU WASHI]
Washi (Japanese handmade paper) has a long history in Japan. It was introduced from China and Japanese original method of making Washi was established before 8th century. Washi is tough, bug-proof, thin, light, warm and really versatile. Washi is durable because Kozo, Mitsumata and Ganpi, which are the materials for Washi has long fibers and they don’t use chemicals in making Washi.

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We use Washi for paper screens, paper screen doors (shoji), and even for clothes. In the past, since the Washi is durable, light and warm, travelers wore clothes made from Washi to avoid getting wet and keep their bodies warm.

Nowadays, the number of Washi craftsman is decreasing. There are only 600 people involved in making Washi now. In 2014, Washi was listed as the Intangible Cultural Heritage. I wish this will help Washi to last as a Japanese precious handcraft forever.


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[How to make Edokiriko : by Edokiriko shop Hanasho]
Edokiriko is a Japanese traditional glasswork. It’s sophisticated design and beautiful cutting make us mesmerized. It was invented by Kyubei Kagaya in 1834, Edo era. After that, in 1881, an English glass cutting expert, Emanuel Hauptman was invited to train Japanese edokiriko craftsmans.

In Taisho era, researches on grass materials were conducted and the technics of grass cutting enhanced. These made the quality of edokiriko improve and made edokiriko more popular.

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Nowadays, there are about 100 edokiriko craftsmans in Japan. They are preserving the traditional method of cutting and also trying to combining some modern design with traditional ones in order to strive. I believe that, as Japanese, it is our duty to hand down the beauty of edokiriko to next generations.

I learned a lot on this day. Thank you very much.

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2018 Miss SAKE Ibaraki
Nanako Miyauchi